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【現代語訳】
元史の冒頭をなんとなく訳してみた。うーん、この見慣れない感じの人名! チンギス・ハーンよりも十代も遡った祖先から話が始まる。一代を三十年で計算すれば三百年前のことである。土着の中原の皆さんには馴染みがないしね。
太祖法天啟運聖武皇帝、諱(いみな)は鐵木真(テムジン)、姓は奇渥溫(キャウン)氏、蒙古(モンゴル)部の人である。太祖はその十世祖の孛端義兒(ボドンチャル)の母を阿蘭果火(アランゴア)といい、脱奔咩哩犍(ドブンメリゲン)に嫁いで二人の子を生んだ。長子は博寒葛答黒(ボカンカダキ)といい、次子は博合睹撒裏直(ボカトサリジ)という。夫が死去した後のこと、阿蘭(アラン)が寡婦として生活していて、夜に帳の中に寝ていると、白い光が天窓から中に入り、金色の神人と化し、駆け寄ってきて長椅子に伏せる夢を見た。阿蘭(アラン)は驚いて目を覚まし、こうして妊娠して一人の息子を生んだ。それが孛端義兒(ボドンチャル)である。孛端義兒(ボドンチャル)の容貌は奇異であったが黙然として言葉が少なかった。そのことで家族からは愚か者だと思われていたが、阿蘭(アラン)だけはひとり人に語っていた。「この子は愚か者ではありません。後世の子孫に必ず偉大で高貴な者が現れるでしょう。」
阿蘭(アラン)が死没してから、兄たちは家の財貨を分け合ったが、彼には与えなかった。孛端義兒(ボドンチャル)は言った。
「貧賤も富貴も天命である。財貨ごとき、どれほど道の足しになるだろうか。」
ひとり青白き馬に乗り、八里屯阿懶(バルジュンアラル)の地までたどりつき、そこに住むことにしたが、食飲が得られなかった。ちょうどその時、蒼鷹(しらたか)が野獣を捕らえて食べていたので、孛端義兒(ボドンチャル)はあらなわを使って罠をしかけ、それを捕獲した。鷹はすぐに慣れ親しんだ。鷹をひじにかけて鷹狩りし、ウサギや鳥を狩って食膳を用意し、なくなることがあればすぐに次のものが現れたので、天が彼を助けているように見えた。
【漢文】
太祖法天啟運聖武皇帝、諱鐵木真、姓奇渥溫氏、蒙古部人。太祖其十世祖孛端義兒、母曰阿蘭果火、嫁脫奔咩哩犍、生二子、長曰博寒葛答黑、次曰博合睹撒裏直。既而夫亡、阿蘭寡居、夜寢帳中、夢白光自天窗中入、化為金色神人、來趨臥榻。阿蘭驚覺、遂有娠、產一子、即孛端義兒也。孛端義兒狀貌奇異、沉默寡言、家人謂之癡、獨阿蘭語人曰、此兒非癡、後世子孫必有大貴者。阿蘭沒、諸兄分家貲、不及之。孛端義兒曰、貧賤富貴、命也、貲財何足道。獨乘青白馬、至八里屯阿懶之地居焉。食飲無所得、適有蒼鷹搏野獸而食、孛端義兒以緡設機取之、鷹即馴狎、乃臂鷹、獵兔禽以為膳、或闕即繼、似有天相之。【書き下し文】
太祖法天啟運聖武皇帝、諱(いみな)は鐵木真、姓は奇渥溫氏、蒙古部の人なり。太祖は其の十世祖の孛端義兒の母は阿蘭果火と曰ひ、脫奔咩哩犍に嫁ぎて二子(ふたりご)を生む。長(をさご)は博寒葛答黑と曰ひ、次(つぎご)は博合睹撒裏直と曰ふ。既にして夫は亡(し)に、阿蘭は寡居(やもめぐらし)、夜に帳の中に寢たれば、白光の天窗自(よ)り中に入り、化けて金色の神人と為(な)り、來たり趨りて榻(こしかけ)に臥するを夢(ゆめみ)ゆ。阿蘭は驚きて覺(めざ)め、遂に娠(はら)む有り、一(ひとり)の子(むすこ)を產み、即ち孛端義兒なり。孛端義兒の狀貌(ありさま)は奇異(あた)しく、沉默(だまり)として言(ことば)を寡(すくな)し、家人(うから)は之れを癡(おろかしき)と謂(おも)ふも、獨り阿蘭のみ人に語りて曰く、此の兒は癡(おろかしき)に非じ。後の世の子孫は必ず大いに貴き者を有(あらは)せり。阿蘭は沒(し)に、諸(もろもろ)の兄は家の貲(たから)を分け、之れを及ぼさず。孛端義兒曰く、貧しきも賤しきも富あるも貴きも命(みことのり)なり。貲財(たから)何ぞ道とするに足らむ、と。獨り青白き馬に乘り、八里屯阿懶の地に至りて焉(ここ)に居(すま)へり。食飲(をし)に得る所無し。適(たまたま)蒼鷹(しらたか)の野獸(けもの)を搏(とら)へて食(は)む有り、孛端義兒は緡(さし)を以(もち)ゐて機(わな)を設けて之れを取り、鷹は即ち馴狎(な)れ、乃ち鷹を臂(ひぢ)にし、兔と禽(とり)を獵(か)りて以ちて膳(かしは)と為し、闕くること或らば即ち繼ぎ、天の之れを相(たす)くる有るが似(ごと)し。「貧賤も富貴も天命である(貧賤富貴命也)」なんていう中国流のレトリックはどこまで蒙古当地の伝説に基づいているのか気になる。
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焚巣館 -論語注疏 為政第二 子曰由誨女知之乎章-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/rongochuso/02_isei/17yuuyo.html本日の更新。ひさびさの論語注疏である。訳どころかhtmlまで去年の私がつくっていた。なにげに論語注疏の訳を最後に手掛けたのがちょうど1年前の今日だった。ちなみに八佾第三の子曰君子無所爭章まで。
画像は去年つくった釣りサムネイル。上記のページもSNS等のソーシャルメディアでhtmlを引用したら表示されるはず。
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焚巣館 -先秦諸子詩歌-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/kanshi_senshin_shoshi/main.html先秦諸子の書物に引用された詩を集めたもの。過去に訳していたものとざっくり思いついたものだけを訳して掲載した。ただし詩経に掲載された詩は省いているので結果として逸詩集となる。
というか、諸子百家の書に掲載されたとかいう謎の基準でコーナーを設けず、最初から先秦逸詩集とかにしておけばよかった。この区分のために春秋左伝に掲載された逸詩は省かれている。諸子百家の書に引用されているかを基準に掲載を決めているのであって、諸子百家が作詩したものを集めているわけではない……はずなのに、孔子の作詞だからということで史記からも掲載しているものがあるし、自分でも何が何だかわからない。完全に企画を誤った。正直言って集めるコンセプトみたいなのがイマイチ固まっていない。
コーナーに対する熱意が消沈しているだけで、詩についてはたのしく訳した。すべての詩にコメントも付けたよ。つけただけみたいなのもあるけど。
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焚巣館 -述志詩-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/jutsushishi/main.html本日の更新。昨年11月に後半部分のみを訳していたが、そのあと2月頃に全訳した。
忍者ブログに移行して以来、ずっとブログの表題のところに掲げている一節「愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。」の元ネタであることは既に述べたけど、訳したのは前回のブログ記事を書いた頃が初めてで、訳しながら「こんなにいい詩だったのか!」と驚嘆したものである。そして自分で訳したものを自ら読み直すたびに更なる驚嘆に驚嘆を重ね、私の最も好きな漢詩となった。ホント好き。いい。マジでいい。
しかし、ここで大きな不安がひとつ生じた。それは……前半部分がクソみたいな内容だったらどうしようというものである。マジでどうしよう。本気で不安だった。この詩にはちょっとした思い出も付されており、なおのこと思い入れができてしまっていたのだ。これもあって訳になかなか手が伸びなかったのである。
しかし、それでも内容はやっぱり気になったので実際に訳してみた結果……最高だった。もう最高。高きを最もにする内容である。私は賭けに勝利した。
この詩の訳はソーシャルメディアにて先行して何度も掲載しているのだけど、ずいぶん評判もよい。漢詩の訳なんて感想が来たこと全然ないのだけど、これについてはくる。
とにかく最高なんで読んでほしい。最高なので。
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今日はホームページを更新しなかった。これまで一年近く放置していたのだから一日ホームページを更新しないくらいでなんだという話であるが、このところ連日更新していたので、そういうことを書きたい気分になったのである。
ブログも書くことがない。そもそもこれまでろくにブログも更新しなかったのだから一日更新しないくらいなんだという話であるが、このところ連日更新していたので、なんとなく休むのがためらわれてこういうことを書くことにしたのである。
こうやってブログを書きながら、口内炎が長引いていて喉が痛く、食事に大きな苦痛を伴っているとか、いろいろと自分の今の状況を差し支えない程度に書けばいいんじゃないかとと今になって思いついたりもする。こういうことをブログに書く慣習が失われたので、その発想に至らなかった。そんな感じ。