カゲロウの羽のような、 清らかで可憐な衣裳。 心が憂鬱に沈んでいるなら、 私のそばにいてほしい。
カゲロウの翼のような、 色鮮やかな衣服。 心が憂鬱に沈んでいるなら、 私のそばで休んでほしい。
羽化したばかりのカゲロウのような、 真っ白な麻の衣は雪みたい。 心が憂鬱に沈んでいるなら、 私のそばで眠ってほしい。
蜉蝣之羽 衣裳楚楚
心之憂矣 於我歸處蜉蝣之翼 采采衣服
心之憂矣 於我歸息蜉蝣掘閱 麻衣如雪
心之憂矣 於我歸說蜉蝣(かげろふ)の羽、
衣裳(ころも)は楚楚(きらびやか)
心之れ憂(うれひ)あるや
我に於いて歸り處(を)らん蜉蝣(かげろふ)の翼
采采(いろどり)ある衣服(ころも)
心之れ憂(うれひ)あるや
我に於いて歸り息(やす)まらん蜉蝣の掘り閱(み)せ
麻の衣は雪の如し
心之れ憂(うれひ)あるや
我に於いてや歸り說(やど)らん
伝統的には贅沢批判の詩。……ということなんだけど素直に読んだら恋愛か夫婦の詩である。売春宿の客引きという解釈も出来そう。その日に羽化してその日に死ぬカゲロウが「一夜限り」の暗喩とかそんなの。思い付きではあるけどふざけているわけではなく、詩経には他にあからさまな売春の客引きの詩があるのは有名。貴族の家庭の外にある愛人の詩と見るのも面白いかもしれない。 外で戦う男を待つ女が「私のところで休んで」みたいなことを言う詩や物語は枚挙にいとまがない。陳腐と言っていい。それもそのはず2500年前からあったのだから。中国すごい。
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